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前回のコラムでも、ちょっと触れてみたんですが、

最近、よく見たり聞いたりしますよね。

自己受容

昨年までは、自己肯定感の方がフォーカスされていた気がします。

自己肯定感の場合は、

自己肯定感を上げて、もっと〇〇な〇〇になろう。

とか

あなたが〇〇なのは、その自己肯定感の低さから。

とか。

自己肯定感を上げれば、今よりもっと幸せになれる!

とか。

自己肯定感は、高かったり、低かったり、上がったり、下がったり、するもののようですね。

ジェットコースターみないな感じかな。

だから、上がった時は、気分も上がって、幸せになれるけど、

それが下がってしまったら、気分もどーんと落ち込んで不幸になってしまう。

だから、上げなきゃ!下げちゃダメ!という一種の強迫観念の要素を持っている気がします。

そういうのって、疲れちゃいますね。

ずっと、上げ続けるって大変です。

良い時もあれば、悪い時もあります。

このコロナ禍になってみても分かるように、

頑張っても頑張っても、報われない時期ってありますよね。

上がっても、下がっても、高くても、低くても、変わらないもの。

3年前まで、仕事に関しては、とても調子が良かったです。

これまで、会社や組織でうまくいかなかった分、一人でもやれてるということに幾ばくかの自信も生まれていました。

そして、その頃の私の自己肯定感も上がっていたことは、間違いないです。

確か、このコラムにもそんな私の気持ちが溢れていたような気がします。

だけど、一昨年のコロナ以降、そんな私の仕事の勢いは止まって、次の活路を見いだせず、ただただ迷いと不安だけの日々。

そうこうするうちに、私の自己肯定感は、どんどん下がっていきました。

今度こそ、仕事で成果を出して、あの頃の自分も間違っていなかったと許したい。

あの頃出会った許せない人たちのことも、許したい。

そして、やっと許せると思ったのに・・・。

どんどん気持ちの上で、悪循環が生まれて行きます。

そんな、苦しい中で気づいたのは、

もう、どうでも良くない?

ってことでした。

自己肯定感が、高かろうが、低かろうが、どうでも良くない?

自己肯定感を上げなくても良くない?

自己肯定感が下がっても良くない?

つまり、

自己肯定感に囚われなくても良くない?

ってことです。

THIS IS WHO I AM.

恐らく、今、自己受容のムーブメントが起きているのは、

私のように気付いた人が、結構な数いたからなのではないかと思います。

コロナ前まで調子よく行っていて、コロナが始まって、自己肯定感が下がってしまった。

それによって、幸せや自分の存在価値まで揺らいでしまったような。

だから、ここは、もう、どんな自分でもマルっと受け入れてしまおうと、ある種の悟り(?)を開いた人が割と多くいたのでは?

自己肯定感が高い時も、低い時も、

自己肯定感が上がってる時も、下がってる時も、

どんな時も、自分そのものは変わらない。

ダメダメな自分も、

調子に乗ってる自分も、

全部が自分。

だったら、まるっと受け入れよう。

どんな自分にも価値があるし、

どんな自分にも価値はない。

自分は特別な存在だけど、特別じゃない。

土台を地ならしして、平坦にする作業が

自己受容ってことなのかな?と思います。

傾いた土地に、家を建てても、立派な家は立たないですよね。

傾いた土台の上に、高く積み上げようとしても、

必ず崩れ落ちます、高く積み上げれば積み上げる程、

傾いた土地の上では、相当派手に崩落するはずです。

だから、積み上げる前の土台作りから。

どんな、自分も受け入れる。

良い時も、悪い時も。

なかなか、難しい作業化もしません。

だけど、自己肯定感を上げることよりも、

盤石な基盤を作る上でとても大切なこと。

そこに積み上げる幸せの方が、華やかさは無くても、

滅びにくく、崩れ落ちにくい。

今、求められてるのはそういうことなのかもしれません。

要は、

どんな、あなたでも大丈夫!

ってことですね。

Just stay who you are:-)

今日も、お読みいただき、ありがとうございました!( ^^) _U~~