゚・。+。・゚・。+。・゚・。+。・゚・。+。・゚・。+。・゚・。+
愛あふれる心優しいあなたへ。
そんな時もあるよね。(^_-)-☆
お申し込み、お問い合わせは、お問い合わせフォームからお願いします。
(営業や勧誘等の書き込みはご遠慮下さい。)
゚・。+。・゚・。+。・゚・。+。・゚・。+。・゚・。+。・゚・。+
GWが終わってしまいましたね。
気が付くと、眩しい程の新緑の季節。
GWは、ゆっくり過ごせましたか?
私は、今年もお休みをいただいていましたので、ぼんやりもの思いにふけりながら過ごしていました。
その中で、どうして、あの時あんなことを言ってしまったんだろう?
って思うことをいくつか思い出しました。
あの時、あんな言い方をしなければ、穏便に難なく過ごせたのに。
もう少し違う言い方ができたら、相手も自分のことも傷つけずに済んだのに。
あの時に、何も言わずに我慢できれば良かったなあ。
とか、過去を思い出して、くよくよしていました(笑)
その時には、その選択しか無かった。
普段は、言いたいことも言えず、あの時に、ああ言えば良かった、と思うことの方が圧倒的に多いです。
だけど、そんな感じなのに、言わないで良い一言を言ってしまったと思うことも意外と多くて、そんな自分にがっかりします。
人間出来て無かったなあ。。。
だけど、数ある選択の中で、その「言う」という選択をした。
それは、その時には、その選択しか無かったということだと思います。
言ってしまった。。。
それは、後悔となって何度も、押し寄せて来るかもしれませんが、だけど、その時にできる最善の選択だった。と私は思います。
人生は、選択の繰り返し。
その選択の一つ一つを、悪い選択、良い選択と判断しがちですが、その必要は無いはずです。
自分で決めて行動したことは、それが失敗や後悔につながったとしても、その時できる最善だった、ベストを尽くしたと考えるべきだと思います。
きっと、我慢の壺がいっぱいになってしまっただけ。
子供の頃に読んだ童話で、「王様の耳はロバの耳」という話があったと思います。
確か、こんな話でした。
耳がロバの王様がいて、そのことを知っているのは、王様御用達の床屋だけ。
床屋は、そのことを誰にも言ってはいけないと口止めをされていました。
だけど、黙ってはおれず、毎晩、壺に向かって「王様の耳はロバの耳」とはささやいては蓋をしていました。そんなことを毎晩、毎晩、くり返しているうちに、壺の中が、床屋のささやきでいっぱいになってしまいました。
そして、いっぱいになった壺は割れてしまって「王様の耳はロバの耳」という言葉が国中に響き渡ってしまったという話だったような気がします。
これも、床屋が誰にも言わずに我慢して、一人で壺に溜め込んだことでこんな結果を招きました。
きっと、言ってしまった。
どうして、あんなことをいってしまったんだろう。
の裏にも、溜め込んでいた気持ちがあったと思います。
不満かもしれないし、嫉妬かもしれない。
あるいは、期待や心配かもしれない。
その「言ってしまった」の裏には、抱えきれない思いがあったはずです。
そして、それまでに言えなくて我慢していた思いを沢山溜め込んでいたと思います。
それは、本当に「王様の耳はロバの耳」の床屋と同じで、壺が割れてしまったように、我慢の限界が来てしまったのだと思います。
気持ちを溜め込むとストレスも溜まります。
そして、気持ちの容量は無限大では無いので、いつかいっぱいになります。
だから、言ってしまった。と後悔していることは、実は、ある種のストレスから守ったことになります。
だから、「どうして、あんなことを言ってしまったんだろう。」という後悔はあったとしても、自分を守ったことになります。
それで、人間関係が壊れたとしても、それまであったその関係のストレスからは解放されたには違いありません。
自分で自分を守った。自衛本能が働いたのだと思うと、もうこれ以上気に病む必要は無いと思います。
どんな選択も、その時の選択は最善の選択です。
自分の守ったということに、誇りを持つべきです。
ですが、これからは、そこまで気持ちを溜め込んでしまう前に、「言う」という選択も選択肢の一つに入れておいてください。
その方が、建設的で人間関係に亀裂ができる前に、相手に気持ちを伝えることができます。
だけど、これまでの「言ってしまった」ことに、もう後悔は必要ありません。
どんな選択も、自分で決めたこと。
それは、その時できる最善の選択です。
今日まで、生きて来れている。そのことが証明しています。
だから、堂々と生きて行きたいですね。
たまにくよくよしても良いじゃないですか!(^^)
久しぶりに、あの童話を思い出しましたが、なぜ王様の耳がロバの耳だったのか?
そこが、そもそもの謎ですね(^^;)
では、5月もよろしくお願いいたします!