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愛あふれる心優しいあなたへ。
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途轍は、「とてつ」と読みます。

使う時は、途轍もないという形容詞、または途轍もなくという風に形容動詞として使われます。

タイトルのように形容動詞「途轍もなく」としての用途が一般的に多いようです。

途轍もなく=途方もなく、意味もなく、無性に、とても、非常に、という意味になります。

緊急事態宣言が明けて、人が少しずつ集う機会が増えているかもしれません。

換気をして、密集をさけていれば、人と集うこともわりと許されてきました。

だから、アウトドアでキャンプやBBQを楽しまれる方も結構いらっしゃるのかなあ。

私は、そういう類はどれも苦手です(笑)

人は集団で行動する生き物(動物)です。

つまり、社会性を持っています。

本来、集団行動が自然にできる生き物(動物)です。

私は、できませんが💦恐らく進化した側の人類なんだと思います。(そう信じたい!)

ですから、寂しさを紛らわすために人と会うこも大切です。

人というか、人間は、他者を通して自分の存在を確認して、それと同時に他者への思いやりや労わりの気持ちも生まれるから、人と会うということはとても大切な機会です。

だけど、もし、自分の気持ちがすごく落ち込んでいる時、

傷ついている時、悲しみを抱えている時、

そういう時は、そういう気持ちを相手が受け入れてくれないと余計に、気持ちは落ち込みます。

元々、沈んでいた気持ちが、さらに落ちてしまうこともあります。

まさに、途轍もなく。

だから、寂しさを「他人」で紛らわせることはできても、他人で補えることはないと思っています。

その辺を間違うと、余計に辛い思いをします。

「他人」は分かってくれないもの。

緊急事態宣言が明けて、複数の人と会う機会もあります。

もちろん、蜜を避けた換気された場所で行われる場合のみお伺いしています。

だけど、そういう場合、自分のコンディションによっては、後悔ばかりが残ることもあります。

ある時、私は、気持ちがとても落ちていました。

その気持ちは個人レベルのものですが、その気持ちに寄り添って欲しかった。

だから、その場所でそこにいる人達に「共感」を期待しました。

その落ちた気持ちを他人で紛らわせたいと思いました。

だけど、そういう気持ちの時に、人と会っても、紛れるどころか、

その傷口に塩を塗られるような、全く期待外れな言動で返されることもあります。

その時も、私の気持ちは全く伝わりませんでした。

軽くあしらわて

茶化されて、

なんなら少し笑われて、

相変わらずのいじられキャラだなと、ちょっと傷つきました。

共感とは程遠い、期待外れな反応に、とても悲しい気持ちになりました。

落ちた気持ちは、さらに沈みました。

人といるのに、物凄く孤独を感じました。

まさに途轍もなく。

そして、そういう時は飲みすぎてしまうので、翌日は非常に体調も悪かった(笑)

偏頭痛持ちですが、頭全体が重かった(-_-)

年に数回そういうことがあります。(学習能力ゼロかよ)

翌日は、楽しみにしていた予定があったのに・・・。

ここで気持ちを立て直して、前に進みたかったのに・・・。

とても気持ちが沈んだまま、何日も過ごすことになるとは。

この日は、the worst day of the year です。今のところね。

「人間」以外で楽しみをみつける。

新型コロナウィルスのお陰(?)(怪我の功名?)時間ができたので、昔買った本を何度も読み直しています。

その一冊の中で、とある職業の人に対して、おっしゃっていることがあります。

ですが、これは全ての職業、仕事を持つ人に共通しているしていることだと思うので書きます。

「仕事(本中ではとある職業)で苦しんだ時、たいていの人は、恋人や家族に救いを求めます。
ぐちを聞いてもらったり、上司(本文では別の職業、ポジションの人)に怒鳴られたことを慰めてもらったり、
ライバルに追い抜かれて仕事を取られたことを泣いて訴えたり、します。
でもそういう時に限って、恋人も仕事で大変なことが起こっていたり、家族は「もういい加減、夢から覚めたら」なんて言ったりもするのです。」

本当に分かってほしい人には、なかなか分かってもらえない時はあります。

その要素はいろいろあります。

声が小さかった。

難しい言葉を遣ってしまった。

表現力が足りなかった。

遠慮してしまった。

その程度の奴だと思われた。

いじられキャラが定着してしまった。

等々、いろいろ、あると思います。

だけど、どれも、正解だけど不正解。

どれもこれも、単にタイミングや相性が合わなかった。

それだけのことの方が多い。そんな風に思います。

だから、どれも当てはまるし、当てはまらい。

少なくとも、自分が全否定されたわけでは無いのです。

人の評価なんて100人いたら100通り。

10人いてもバラバラです。十人十色なんて言葉もあるくらいですからね。

だから、あまり、人を当てにしない。

そして、自分もあまり当てにされなくても気にしない。

そんなくらいで、ちょうどいいかと思います。

そのちょうどいいさじ加減が難しいので、人は人間関係に悩みます。(私も常に悩んでいます)

だから、本の中にあるように、自分一人でも楽しめることが必要になってきます。

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一人でも楽しめることはいろいろあります。

本を読む、

ゲームをする、

サブスクの音楽を聴く(動画を見る)、

楽器の練習をする、

語学の勉強を始める、

ウインドウショッピングをする、

来シーズンの買い物の計画立てる、

やってみたいこと100リストを作る(以前作ったリストの見直しをする)

不要な物を処分する(ものだったり、アプリだったり)、

何か一人でできることで集中できること、

楽しみながらできることを探してみることです。

そして、無理の無い範囲で。無理して楽しみはみつかりません。

脱・成果主義。結果よりその過程を楽しんで。

将来に役立つから、

それをしたらリア充に見えるから、

他の人がやってるから、

そういう理由だと楽しめないと思います。

語学学習を始めたからといって、語学も堪能になる必要も無いです。最近は翻訳アプリもあります。

楽器を始めても、ミュージシャンのように、楽器も流ちょうに弾けなくて良いです。世の中楽譜の読めない人の方が多いです。

ゲームでも常に打ち負かす必要も無いです。ゲームのやり方を知らない人の方が楽譜を読めない人よりも断然多いですから。

何か楽しめるものが、みつかるといいですね。

そういう一人でも楽しめることが気持ちの余裕にもつながります。

何も見つからなかったら、

ごろっとソファで横になるでもいいですね。

それで、ぼんやりテレビを見ること、

ぼーっと天井を見上げること、

そんなことでも全然かまわないと思います。

寂しさや悲しさ、悔しさやりきれなさに囚われしまうこともあります。

その魔物は、とりついたら、負の感情をエネルギーに成長していきます。

そして、食いつぶされてしまうことさえありますから。

だけど、その囚われる時間を減らすことで、その魔物の成長を止めることができます。

どんなことでも、楽しめることをみつけてください。

楽しめなくても、夢中になれること。

人から、どう言われてもいいんです!

というか、人に言わなくたっていいんです!

自分が夢中になれるかどうか、楽しめるかどうか、

そこが基準になりますから。

その惨憺たるした翌日、楽しみにしていたことは、全く楽しめませんでしたが、今も密かに役立っています。

それは、次回かその次に書きたいと思います。

いろんなことがあって、悲しみに暮れてしまうこともあります。

そして、寄り添ってもらえないこともあります。

私が、他者の悲しみにピッタリと寄り添えるかと言われればそんなこともないと思います。

だけど、他者の気持ちを想像したり、思い遣ったり、それだけでも世界は変わって来ますね。

月並みで、言われ続ける言葉ですが、あなたは一人では無いですよ。

一人だけど、一人じゃない。

それは、一人でもいられて他者をあてにしなくなって気づけるのかもしれません。

私は・・・?

私は、それがまだだったみたいです(笑)未熟者です💦

人生は修行ですね(^^;)

だけど、それもまた楽しい。それも人生です♡