先日、昔好きだったドラマの再放送を見ました。

野ブタ。をプロデュース。

知ってますか?
すごく古いドラマです。
このドラマは、いまも活躍している芸能人がデビュー当時に大勢出ていて話題になりました。
先日見たら、今は既に亡くなった方も、当時元気な姿でご出演されていて、時の流れの早さを感じました。

出演陣だけじゃなくて、私は、この話がとても好きでした。
むしろ、ストーリーが好きでした。
セリフが本当に良くて、今でも覚えてるのもあります。

こないだ見たシーンで、主人公のお父さんが、つぶやいたセリフが、今回のタイトルです。

どこかで、悲しみにくれる家族もいるんだよなあ。

必然的に、家にいる時間が増えています。

皆さんは、どうすごされているでしょうか?

私は、元々、あまり外出が好きではなくて、仕事関係で出かけること以外,ふだんからひきこもりです。
そして、しばらくは新規募集も停止しておりますので、家にいる時間がさらに更に増えました。

そんな時、私は、専ら本を読んでいます。
年末くらいから、最近まで、買ってなかなか読めなかった本をちびちび晩酌のように読んでいます。

そんな中でも、強烈だったのは、養老孟司さんの『死の壁』

死が「三人称」になってから、死そのものが軽くなった。

随分前に(もしかしたら、野ブタ。をプロデュースと同じころだったかもしれません。)『バカの壁』という本がベストセラーになりました。
この本、読んだはずなのに、内容を全く覚えていないって言う(^^;)

その続編として書かれた本だそうです。

この本を読む前に、突然、YouTubeのおススメにこの本に関連する動画が上がってきたんです。
こちらです。
あ!だけど、人体の本物の標本が出てきます。なのでそういうのが苦手な方は見ないでください!
つまり、人体模型ではなくて、本物の死んだ人間の体ということです!
だから、そういうのが苦手な方は、本当に、本当に、見ないでください!!

上の動画の中でも、本の中でも、死というものが便利になるにつれて、生活からどんどん離れてしまったとお話しされています。

例えばですが、派出所の前に、今日の交通事故件数、負傷者、死亡者の掲示板。
そこには、数字しかないですが、死亡者が1なら、そこに死んだ人が一人いるということです。
当たり前です。
だけど、それは、知らない誰かの死。彼あるいは彼女の死。つまり三人称の死です。

この死んだ人が、自分の知り合いだったら、つまり二人称の死だったら、無関心ではいられないはずです。
知り合いでないにしても、自分の知っている人の死だったら、身近な人でなくても何かを感じるはずです。

だけど、それを数字でだけ目にした時、「あ、昨日は、人が交通事故で1人死んだんだ」程度にしか思わないか、あるいは目に入ったとしても、意識せず風景の一つとして覚えてもいないと思います。

あなたという二人称でなくても、〇〇さんが、亡くなったと、考えるきっかけになると思います。

COVID-19(新型コロナウイルス)で、志村けんさんが亡くなりました。

(←このポーズ、ちゃんとやってます?笑)

志村けんは、私が生まれた年にデビューされています。
だから、私の同世代の方は必ずご存じなはずですし、最近もずっとテレビに出ていらっしゃったので、若い人にも人気で知名度も高い。

そんな志村けんさんが亡くなった時、親しい人が亡くなったような喪失感を感じたと思います。
もちろん、志村さんが私達のことは知る由もない。
だけど、私達には、おなじみに「志村けん」だった。
だから、一人の死亡者として「三人称の死」ではなく、「二人称の死」として受け止めた人も多いと思います。

だから、「こんな形で亡くなってかわいそうだ」とか「この新型ウィルスが憎い」とか、いろいろな感情が芽生えたのだと思います。

それが、一方的にでも知っている人の死だったら。

一人一人に大切な誰かがいる。

いつ頃からかニュースをあまり見なくなりました。

夜寝る前に、髪を交わしながら、つけっぱなしのテレビかrら、何気なく流れるニュースで、交通事故で亡くなった人や事件に巻き込まれて亡くなった人の情報が流れていました。

一日を終えて、眠る前に、
今日も、なんとか無事に一日が終わろうとしている頃に、

その時に、見るニュースになんともいえない気分になっていました。

私は、これから眠ろうとしている。
朝が来るのが憂うつだなあ。って布団に入ろうとしている。

だけど、どこかで、その明日が来ない人もいるんだなあ。
当たり前に来ると思っている明日が、今日で終わった人もいるんだなあ。そんなことを思うようになりました。

まさに、野ブタ。をプロデュース。のドラマのセリフと同じです。

どこかで、悲しみにくれる家族もいるんだよなあ。

今は、この新型ウィルスの感染拡大に伴い、そのウィルスで亡くなった人の数が公表されます。
数なので、どこのだれで、どんな人なのかも知りません。

だけど、一人一人に家族または近しい人がいらっしゃったと思います。
孤独や孤立の状態にあった人もいるかもしれません。
だけど、その人の死を知った時に、何かを感じる人は確実にいるということです。

数を重視すると、そんな当たり前のことを見落としがちで忘れがちです。

一人一人にその人の人生の物語があった。のに。

志村けんさんのような特別な人でなくても、それぞれに人生にドラマがあった。のに。

それは、今生きている私達一人ひとりにも言えることです。
二人称の誰かが亡くなったら、悲しい。ですね。
あまり好きでは無かった人でも、もう二度と会うことも無いのか、嫌みや小言も二度と言われなくなったのかあと何かしらの感情は生じるはずです。

「生きていても意味がない」と思う前い。

そして、私=一人称。

自分が死んだ後の世界のことは、誰にも分かりません。
臨死体験した人の話は聞いたことはありますが、本当に死んだ後の人が自分の死をどう感じて、どう受け止めたかは実のところわかりません。
占い師みたいな人に乗り移って死者が語るというのも、見たことありますが、その死んだ人が死んだ後にその人の言葉で語ったという話は聞きません。方法もわかりません。

だけど、私=一人称でしかないけれど、その私(自分)を、二人称として受け止める人は、必ずいるということです。

そして、自分が死んだら、誰かに悲しみを与えてしまうかもしれないということです。

「死の壁」の中で、養老孟司さんは、「お父さんの死を受け入れるのに30年かかった」とおっしゃってます。
子供の頃に病気でお父さんが死んだということは分かっていても、気持ちの上で受け入れられたのは30年後。

だから、今、ニュースで死亡者数として数でし表されない1人1人に悲しみがある。
だけど、数になると、今日は多かった。少なかった。
大した数じゃない。どうせ死んでるのは年寄りだ。
そういう感想になってしまう。

本当は、その人の死が30年も続く悲しみを誰かに与えてしまうかもしれないのに。

気が付くと、あまりニュースを見なくなっていました。
だけど、私の仕事に影響もあることなので、最近は見ていました。
だけど、もうそんなに見なくても良いと思いました。

本当に、大切なことが抜け置いているように感じたから。

今、皆さんはどんな風に感じているんだろう?
次お会いするときに、教えてください。
自分がどう感じたか、何を思ったかを大切にして欲しいと思います。

それから、誰かにとって、あなたは「大切な人」であるということも忘れないで欲しいです。